宝箱のなかみ

やりたくない時こそやる!

読み聞かせの効能

読書してますか?

何だかんだ言って、やっぱり読書って大事!!なんて耳にタコタコくらい、聞きますが。「最近の子は本離れが…」ってしたり顔の大人はよくいるけど、わたしはそうは思わない。何故なら娘二人は絵本が大好きだから。長女が一歳くらいから週6日くらい、ほぼ毎晩絵本の読み聞かせが、寝る前に歯を磨く級に我が家での習慣。絵本を読んでからでないとお眠りスイッチが入らないくらいに。

 

そもそも読み聞かせを始めたきっかけは、長女はいわゆる『寝るのが嫌いな子』だったから。初めての育児とあってわたしも相当に気合いが入っていた。某教育番組で、「赤ちゃんは20時から21時に寝かし付けてあげましょう。寝かし付けに有効なのは抱っこ紐で部屋の中を歩いてあげること」と知ったら即実践。真面目に毎晩抱っこ紐で寝かしつけてたが、娘の成長とともに段々それがしんどくなって。(当たり前だ!)もう無理だとなった時に、今度はおやすみ前のルーティン化に絵本の読み聞かせを取り入れてみた。そんなこんなで読み聞かせ歴は…ああ、もうかれこれ8年ほど。

 

さて、そんな寝ない我が子への対抗策として始まった絵本の読み聞かせが、日常にいろどりをたくさん加えてくれている。読み聞かせる子どもの年齢に合わせて、楽しみ方も様々だ。バブバブーの赤ちゃんの頃はただ絵本の読み聞かせ受け身状態。そこから徐々に成長し、絵本のページをめくるのって楽しいなってただひたすら勢いよくページをめくってみたり。指先の発達にも良し。そして、段々園児の頃になってくると「知っているお話」を何度も聞きたくなる。同じ絵本を何回も「もう、いっかい!」症候群。これは自分の知っている話が、本当に自分の知っている通りなのか、それを聞いて確かめているのだとか。決まった展開、結末に安心するんだそう。実際、園児の次女は今まさにそんな感じで。にっこり持ってきてくれた絵本に対して心の中は、「えーこの絵本、今日も読むのー」となる。なるけれども、今は確認作業だと割り切って、なるべくリクエストには応えるようにする。すると、何回も読んだ絵本を、今度はひとりで「読める」ようになる。はい、この「読める」は語弊がある、次女はもちろんひらがなは読むことはできない。絵本の絵だけをみて、ひとりで読み聞かせられたセリフを読んでいる。余談なのだけど、そんなつたない音読の姿を目撃すると本当に癒される。文字通り疲れも吹き飛ぶくらいに。大人の感覚だと、「何故分かりきった話を何度も読まなくてはならないのか!?そんな非合理的なことを何故強要するのだ?」って半ばヤケクソ的に読んでしまうこともままあるけれど。愛しい反面、狂ってるみたいな。恐らく、この年齢の何度も同じ絵本を読んでもらうことは大切な習性なんだとわたしは思う。そして、一般的によく言われているのが、読み聞かせは絵本を通してその子が疑似体験ができるということ。絵本を読んでもらうことで実際に起こったわけではないのに、魔法使いにプリンセスに変身させてもらったり、一緒になって赤い金魚を探したり、キツネのぬいぐるみのしっぽを直してもらうために砂丘まで旅にでることができる。読み聞かせのそんな効能を知ったわたしは、彼女たちの想像力はなんて尊いのだろう!どんどん読み聞かせたいと思った。

そんな未就学時期を経て、絵本との関わり方は徐々に「絵」から「文字」へと移行していく。自分一人で文字を読める喜びに出会えるのは(個人差ありますが)小学校入学前後でしょうか。

次女とは反対に、小学生の長女は一度読まれた本への執着は驚くほどなくなった。幼い頃から毎晩のように読み聞かせをしていたので、三年生になった今では一人で読書タイムの夜もちらほらあり。そんな長女とは、少し長めの本を毎晩少しずつ読み進めるスタイルになっている。最近は『南極犬物語 新装版 作:綾乃まさる』を読み聞かせてみて、お互いに感想を言い合ったりするのが楽しい。そして毎日こんなに読書をしているのだから、「読書ノート」なるものを提案してみたが、これはまだそこまで定着しておらず。現段階ではあるものをただひたすら読み漁るという状態。ゆくゆくは読書(インプット)→感想を書く(アウトプット)をセットにすることが次なる目標!

わたしも読み聞かせを通して知識が深まることもあって、絵本だからとあなどるなかれ。何故毎日続けられているか?純粋にわたしも楽しめていることが一番大きいだろう。

なんて偉そうに書いてしまったが、しんどい、今日はもう読みたくない、勘弁してなんて日はもちろんある。にんげんだもの。だから休日は夫が読んでくれる時もある。読み手が変わると、同じ絵本も違った表情になって、子ども達はそれも楽しんでいる。オーディブルがリトライキャンペーンの時はそれに頼ってる時もある。

 

今では読み聞かせを通して、子ども達の感性が育っているように感じる。近くのスーパーに買い物に行く道すがら、みちばたに可憐な花が慎ましく咲いている。綺麗だねと言い合って、家に帰ってその花の名前を調べる。翌日もうその花の名前を「ハルジオン」と呼べる。取るに足らない日々が宝石に変わる瞬間。子ども達はもちろん、わたしもまだまだ成長できる。この世界について知らないを知るに変えてくれる、それはとどのつまり、人生で出会ってきた本なのだと思う。